萬屋醸造店
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会社情報
社名 | 株式会社萬屋醸造店 |
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創業 | 寛政2年(1790年) |
社長 | 深澤 透 |
事業内容 |
日本酒製造・販売 酒蔵ギャラリー・六斎運営 |
所在地 | 〒400-0501 山梨県南巨摩郡 富士川町青柳町1202-1 |
TEL | 0556-22-2103 |
FAX | 0556-22-4245 |
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寛政二年(西暦1790年)初代当主 萬屋八五郎が現在の地に蔵を開きました。
江戸時代後期ここ増穂の地は富士川を使った物流拠点として賑わっていました。「甲州三河岸」と呼ばれたこの地から富士川河口の岩淵(現静岡県庵原郡)まで下りその後江戸まで廻船にて諏訪や甲斐からの年貢米を運んでいました。
当初の酒銘は「一力正宗」。 酒だけでなく醤油・味噌・みりんなどの製品も手掛けており、当時この地での萬屋醸造店の繁栄が想像できます。
その後の鉄道や道路の整備など新たなインフラの登場により物流拠点から,美しい山紫水明の観光地としての増穂の里へと時代と共に移り変わっていくのでした。
時代の変化と同じく、酒銘も「春鶯囀」と変わり、昭和の始めには味噌・醤油・みりんと共に酒七百余石(約126㎘)を製造する蔵となっています。
当時のエピソードとして、昭和8年六代目当主中込旻(あきら) の弟中込純次(フランス文学者)と交流の深かった歌人与謝野鉄幹・晶子ご夫妻が甲斐路を清遊、当蔵にご宿泊の折、饗応の酒に舌鼓を打ち数多くの和歌を詠まれました。
その中の一首
法隆寺など行くが如し
甲斐の御酒(みき)春鶯囀のかもさるゝ蔵
に中込旻は深く感銘し石碑に記し後世に残しています。
また旻の母・さとじも与謝野夫妻を敬愛し、手紙をやり取りする間柄でした。そんな良縁から与謝野夫妻は甲州の旅を望み、萬屋醸造店への来訪が実現したのでしょう。
昭和27年、七代目当主平一郎は、この醸造蔵を株式会社萬屋醸造店へと法人組織に改編をした人物です。
これを機に戦中からの流れであった糖類を添加する酒造りを徐々に削減。
昭和51年糖類の使用を完全に止め、いわゆる三増酒(さんぞうしゅ)の廃止を高らかに謳いあげました。
昭和53年当時としては珍しい「純米吟醸酒 春鶯囀」を発売します。 純米酒志向を強めていた萬屋醸造店ですが、昭和54年「純米吟醸酒 冨嶽」を発売し、さらなる上質な純米酒を求めていきます。
平成元年、新しい酒蔵を落成させた八代目当主元一郎は、この増穂の地での酒造好適米「玉栄」の栽培を地元の農家さんと共に開始しました。
この「玉栄」を使った「純米酒 鷹座巣(たかざす)」の発売を迎えた時、萬屋醸造店の酒製造数量に占める純米酒の比率は約80%に達していました。
令和4年、「幸せにそっと寄り添うお酒」というスローガンのもと、社員杜氏を中心に新しい挑戦として世界に愛される日本酒を目指し、地元産 酒造好適米山田錦を使った精米歩合40%の純米大吟醸酒「磨き40 233」を完成させました。
これからもさらに酒造りのすべての工程において今持てるすべての技と心を込めて春鶯囀の日本酒を生み出してまいります。皆様の大切な何かに寄り添えることを願いながら私どもの挑戦は続きます。